馬籠

2020年11月、中山道ぎふ17宿という毎年行われているイベントに参加して馬籠に出かけました。馬籠で地元のガイドさんに落ち合い、馬籠宿を案内していただいて、ランチを食べるというプランです。

馬籠宿の散策を始めてすぐに目に入る水車。復元されたものですが、現在は水力発電に使われているのだそう。

馬籠の水車

ガイドさんの先導で馬籠を散策します。馬籠の街づくりにかかわった方で、いろいろな裏話も聞けてとても面白い。

ガイドさんと馬籠を散策
馬籠の町並み
馬籠の町並み

木曽の五木の特徴を伺ったり。

木曽の五木
木曽の五木

そして馬籠から妻籠へと向かう旧道に入ります。

馬籠から妻籠への道

ランチは峠の手前にあるこちらのレストラン。ガイドさん一家の経営だそうです。食べきれませんでした。

ガイドさんと別れた後、島崎藤村の記念館に寄って帰りました。

島崎藤村記念館
島崎藤村記念館

ちなみに、現在馬籠は岐阜県に属していますが、以前は木曽、つまり長野県だったそうです。長野県だと外れになってしまう馬籠の子どもたちは、長野県内の高校に通うのも大変で、親せきなどを頼ってより近い岐阜県中津川市の学校へ行っていたとか。

そこで妻籠の住民が岐阜県への編入を求めて長野県に働きかけたところ、猛反対したのが学校の先生たちだったとか。いわく「木曽路を代表する『夜明け前』を書いた島崎藤村の出身地が、長野県でなくなってしまう」。おいおい、誰のための教育か、というようなお話。ちなみに裏は取っていません。

中山道柏原宿

今須宿からひたすら歩き(と言っても1時間かかりませんが)、柏原宿に近づくと、右手の神社の入り口に「長比城跡登り口」の案内が。長比城と書いて「たけくらべじょう」と読むそうです。次回のハイキングはここにしようかな。

長比城入り口
長比城入り口

ちなみに、この神社の参道は分水嶺に位置しており、右側の溝を流れた水は伊勢湾へそそぎ、左側は琵琶湖を経て大阪湾に至るようです。関ケ原のあたりは地峡のようになっていて、分水嶺らしい尾根が見当たらないので、どこにあるのだろうと思っていましたが、ここでした。

その近くには、中山道以前の東山道のなごりもありますが、道としては既に機能していません。

踏切を超えると、柏原宿に入ります。道路の舗装の色が変わり、「ここから宿場町だよ」と教えてくれます。案内板によると、柏原宿は室町時代に成立した模様。

柏原宿の歴史
柏原宿の歴史

照手姫傘地蔵

しばらく進むと出迎えてくれるのが照手姫傘地蔵。写真右側の背の低い方が照手姫傘地蔵だそうですが、そんなに古いものには見えないのですが…保存状態が良かったのでしょうか。照手姫の伝説は各地に残っていますが、照手姫傘地蔵のストーリーはこちら

照手姫傘地蔵
照手姫傘地蔵

柏原宿の様子。宿場っぽい雰囲気は残っていますが、馬籠のようなところを想像するとがっかりしますね。この日は柏原駅に来ることが目的だったので、柏原宿の散策はなし。後日訪れることとしました。

柏原宿
柏原宿

ちなみに柏原宿周辺には、さほどメジャーな観光地になってはいないものの、名所旧跡がたくさんあります。こちらの観光地図を参照してください

中山道今須宿

関ケ原から、小早川秀秋の陣があった松尾山を越え、麓の平井集落聖蓮寺を経て、今須宿に入りました。途中道路工事で予定していた道が通れず、本陣跡の近くから今須宿に入りました。近くには、今須川にかかる今須橋脇の常夜灯があり、近くの民家が素敵なので一緒にパチリ。

今須宿 今須橋の常夜灯
今須宿 今須橋の常夜灯

それ以外は、本陣もすでになく、かつての建物としては唯一問屋場が残っているくらいです。

今須宿 問屋場
今須宿 問屋場

お腹が空いて、飲食店を探しましたが、街道沿いの通りには皆無。どこか知らないところにあるのでしょうか。

妙応寺

今須宿の本陣跡のすぐ北側にあるのが妙応寺。岐阜県で一番古い曹洞宗のお寺だそうです。あまり大きなお寺ではないですが、面白いのが寺の構造。本堂を中心に、山門までがぐるりと回廊でロ字型に繋がっています。ここまできれいに繋がっているのは珍しいとか。

中山道今須宿妙応寺
中山道今須宿妙応寺

妙応寺境内には、関ケ原の合戦を終えた徳川家康が今須宿に立ち寄り、腰かけたと伝わる石が置いてあります。本当に腰かけたかどうかは定かではありませんが、今須は関ケ原の隣で、当時の東山道(のちの中山道)が通っていましたから、徳川家康が通ったことは間違いないでしょう。

徳川家康腰掛石
徳川家康腰掛石

街道の宿の面影はあるものの、食べるところのない今須宿を後にして、柏原宿へと向かいます。

車返しの坂

今須宿の町並みを出てしばらく歩いていくとあるのが車返しの坂。今では地蔵様が祀られています。なんでも、南北朝時代に平安貴族が荒れ果てた不破関屋に風情を求めて牛車で京からやってきたものの、建物の修繕が済んだと聞いて、宿場へ入る前のこの坂から京へ引き返したとか。このストーリーについて詳しくはこちらを参照

芭蕉句碑と寝物語の里

更にしばらく進むと、工場の敷地内?に芭蕉の句碑が。

芭蕉句碑
芭蕉句碑

そしてさらに進むと、岐阜滋賀の県境、昔の近江と美濃との国境にある寝物語の里。ここは国境の両側に接して建物があったので、隣の国で話す声が夜聞こえることからこう呼ばれたとか。いろいろな伝説もあるようですが、詳しくはこちら

寝物語の里
寝物語の里

ここから滋賀県に入り、柏原宿はもうすぐです。

関ケ原古戦場ハイキング

関ケ原と言えば言わずと知れた1600年、関ケ原の合戦の場所。しかし、関ケ原古戦場にあるものと言えば「ここは徳川家康の陣地」「ここは石田三成の陣地」「ここは合戦の場」といった、記念碑だけというイメージでいました。ですから「わざわざ歩きに行くこともないだろう」と思い込んでいました。

ところが、ハイキングの目的地選びの参考にと購入した「日帰りウォーキング 東海 (大人の遠足BOOK)」という本を見てみると、「エコフィールド」とか「東海自然歩道」の文字が。「え?関ケ原って、陣跡の看板を見て歩くだけじゃないのね?」と思い直し、10月12日、紅葉のシーズンにはまだだいぶ早いですが、歩いていても暑さを感じなくなったころに出かけました。

まずはこの日の関ケ原古戦場ハイキングの行程を編集した動画から。

JR関ケ原駅を出たら、駅前の観光案内所でハイキング用のマップを手に入れることができます。数多くのコースが設定されていますが、この日は「日帰りウォーキング東海」に載っていたコースにほぼ沿って歩くことにしました。でもいつか、小早川秀秋が陣をしいた松尾山とかも訪ねてみたいですね。

JRの駅から道をたどり、高架でJRの線路を越えます。その先にあるのはできたばかりの岐阜関ケ原古戦場記念館。この日はオープニング直前で、セレモニーが行われていました。体験型のミュージアムのようなので、また今度来たいですね。

さて、記念館は素通りして、まずはコンビニでお弁当を買います。今日のルート上にはレストランはないのです。日本の田舎は途中食べるところが限られており、調べてから行っても閉まっていることも多く、注意が必要です。ですからこの日はあらかじめ弁当を買い込むことに。

岡山烽火場

まず目指したのは岡山烽火場(のろしば)。合戦の開始を告げた場所ですね。小高いところで、関ケ原駅からも旗が立っているのが見える場所です。ここまでの道は、集落の間を抜けるところも歴史を感じさせますし、竹林の斜面も風情があってお勧めです。

竹林を抜ける

烽火場からは樹林の中、東海自然歩道に沿って進みます。急な上り下りもない、気持ちの良い山道です。やがて到着するのがエコフィールド。農業用のため池がいくつか並んだところを道が通っています。きっと水生生物などが多くいるのでエコフィールドになっているのでしょうね。

エコフィールドへ

関ケ原の合戦決戦地

エコフィールドを抜けると道は平地に下り、国道の下をくぐります。しばらく歩くとコスモスの花畑が見えて来て、その先が決戦地。記念碑が立っているだけです。

コスモス畑と決戦地

笹尾山石田三成陣跡

決戦地の向こう側、山の上に見えるのが石田三成が陣をしいた笹尾山。その登り口には笹尾山交流館という施設があり、鎧兜を借りて身につけることができるとか。ここから笹尾山までは一登りです。笹尾山の頂上からは関ケ原が一望できます。

石田三成陣地笹尾山頂上

さて、笹尾山からさらに東海自然歩道をたどるのですが、どうもどこに道があるのかがわかりません。しばらく探すと、笹尾山頂上にある神社の奥の笹に覆われた中に踏み跡らしきものが。「これかな」と思って進むと、次第にはっきりしてきて、東海自然歩道によくある丸太を横に並べた階段が。間違いないですね。道は集落の中に入っていきます。

集落の中で見かけるのが、自然石のようにしか見えない石が祀られているもの。お地蔵さんが風化したのか、それとも自然石をお地蔵さんに見立てたのか。あるいは関ケ原合戦で亡くなった武士を弔うための墓碑であったのか。正体はわかりません。

自然石を祀る?

このあと、島津義弘陣跡、開戦地、小西行長陣跡、徳川家康最後陣跡、そして東首塚とまわって関ケ原駅に戻りました。この辺りは「記念碑巡り」みたいなものになりますから、ハイキングとしてはあまり面白くないですね。

後日小早川秀秋の陣跡である松尾山へ行った話はこちら