彦根 天寧寺五百羅漢、清凉寺、龍胆寺、大洞弁財天

JR彦根駅の東側を見ると、低い山が連なっています。JR琵琶湖線(東海道線)と、東海道新幹線や名神高速が通る旧中山道とを分けている、石田三成の佐和山城があったあたりです。東山公園や東山保育園という名前がありますから、この辺り一帯は東山と呼ばれているのでしょうか。

彦根と言うと、どうしても国宝彦根城や、彦根の城下町が観光地のイメージですが、この山のあたりも実は見どころが多い歴史上重要な場所。でも訪れる人はほとんどなく、とても静かなウォーキングが楽しめます。

一つ注意が必要なのは、彦根城がある彦根駅の西側とは違い、東側には商業施設や飲食店が皆無に近いこと。歩きながらお店を探しても、駅周辺に数えるほどしかないのが現状。ランチを食べるところとか、ちょっと考えておいた方が良いでしょう。

さて、そんな彦根駅の東側を歩いたのは10月30日、山際と言っても紅葉にはまだまだ早い時期でした。

天寧寺五百羅漢

まず訪ねたのは天寧寺。彦根駅を出て、東に向かい徒歩20分くらいでしょうか。山の斜面を少し登って行ったところにあります。

天寧寺
彦根 天寧寺

天寧寺は文政11年(1828)建立の、井伊直中(井伊直弼の父)ゆかりの寺です。直中に仕えていた腰元の不義をとがめて罰したところ、何と相手は自分の息子だったとか。それを悔いて腰元若竹と園子(つまりは自分の孫)を弔うために建立したとか。何ともはや…の理由ではありますが。

天寧寺の見どころは五百羅漢像。その中で一回り大きな像が十六羅漢像です。これだけの数の像が道内に並ぶ姿は圧巻です。

天寧寺 五百羅漢像

高台にある天寧寺境内からは、彦根城もよく見えますが、ビルや看板がちょっとうざい…かな。

天寧寺から見た彦根城
天寧寺から見た彦根城

天寧寺以外の訪問地は、もう少し北の方、石田三成の居城、佐和山城があった佐和山の麓にあります。山際を直接歩いて行けるハイキングに良い道はないかと探しましたが、どうやらないようで、一旦彦根駅の方へ戻らなくてはなりません。

石田三成屋敷跡

駅の東側からは、高架下をくぐったり、近江鉄道の線路を踏切で渡ったりしながら集落に入ります。東山公園の近くにあるのが石田三成屋敷跡。佐和山の麓ですから、山上に城、麓に屋敷、という構造だったのでしょうか。

しかし、最初は気がつかずに通り過ぎてしまいました。説明を書いた案内板くらいはあるかと思っていたら、場所を示す石柱のみ。かつては二重の堀があり、城下町も作られていたそうですが、その面影は全くありません。

石田三成屋敷跡
石田三成屋敷跡

こちらは近くの公園横にある佐和山城模型。

佐和山城模型
佐和山城模型

清凉寺

清凉寺は彦根藩を治めた井伊家の菩提寺です。井伊直政(なおまさ)の墓所として開かれた曹洞宗の寺院です。井伊家の菩提寺だけあって、なかなか立派な寺院ではありますが、訪ねて面白いところではないかも。

彦根 井伊家菩提寺 清凉寺

龍胆寺

清凉寺の少し北にあるのが龍胆寺。ここは意外に面白い寺でした。清凉寺が明るく開けた感じであるのに対して、龍胆寺の入り口は木立に覆われ、ちょっと気味が悪いかも。

龍胆寺へのアプローチ

龍胆寺の中を拝観するのには、拝観料が必要なのですが、何と素敵な庭もあり、また、桃山時代の障壁画も残っているなど、なかなかのところではないですか。龍胆寺はあまり知られていませんが、お勧めです。

龍胆寺の障壁画
龍胆寺の障壁画
龍胆寺の庭園
龍胆寺の障壁画
龍胆寺の障壁画
龍胆寺の庭園
龍胆寺の庭園

大洞弁財天

龍胆寺の前の道をさらに北へ向かうと、井伊神社を経て大洞弁財天へ。正式名称は長寿院という、真言宗醍醐(だいご)派の寺院だそうですが、有名な弁財天像が安置されているため、大洞弁財天という通称で呼ばれているとか。弁財天像は撮影禁止のため、写真はありません。

建物の木彫などが有名なようです。

大洞弁財天の木彫

彦根城から見ると鬼門(北東)にあたるそうで、山門からは彦根城が遠くに見えます。山門になぜお狐さんがいるのかは不明。

実はこちらが大洞弁財天の正式な参拝ルート。門をくぐると長い長い石段が続いています。

大洞弁財天石段
大洞弁財天石段
大洞弁財天石段
大洞弁財天石段 秋の風景

見上げるとこんな感じ。

大洞弁財天石段
大洞弁財天石段

この石段の下にはJRの踏切があります。参道をJRが断ち切ってしまったんですね。ここから彦根駅までは徒歩20分ほどです。

彦根 天寧寺五百羅漢、清凉寺、龍潭寺、大洞弁財天(ハイキング・コース)


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